People from Different Countries

ろう者を支援する国際協力団体の代表として

名前 : 廣瀬芽里(ヒロセメリ) 職業 : 国際協力団体代表 出身国 : 日本

2018年3月某日。常夏のドミニカ共和国とは違い、厳しい寒さが続く日本にて、我々Viento del Caribe(カリブの風)は国際協力団体「Yes, Deaf Can!」の代表、廣瀬芽里氏にインタビューを行った。

同団体は、ドミニカ共和国の成人のろう者のためにマイクロファイナンスのサービスを提供することを目的に立ち上げられた。ろう者とは、耳が聞こえない方々を指し、廣瀬氏自身も生まれた時からのろう者である。現在、日本各地での講演や、イベントやプロジェクトの企画・運営等、精力的に活動する廣瀬氏。ろう者としてのご自身の経験や活動、また料理やダンスといったドミニカ共和国の文化等を日本の方々に知っていただき、ドミニカ共和国、そしてそこに住むろう者に関心を持っていただくことで、少しでも多くのろう者を支援するための資金を集めたいと考えているとのこと。

学生時代の留学や、ろう者に関わる各種調査、そしてろう者が大学で学ぶための奨学金を集めるイベントへの参加等、幾多に及ぶ渡米経験がある他、国内外で多くの活動をされてきた廣瀬氏。そんな彼女がなぜドミニカ共和国のろう者を支援することとなったのか。この国の魅力や日本の方々へのメッセージ等と合わせて語ってもらった。

-現在の活動についてお聞かせ下さい。

私は今、国際協力団体「Yes, Deaf Can!」の代表として活動しています。当団体の設立目的は、自立を目指しているろう者に小口の融資や貯蓄等のサービスを提供することで、彼ら自身で運営・管理できるビジネスを立ち上げてもらい自立を促すこと。ドミニカ共和国東部のラ・ロマーナ県にあるろう者を対象とした職業訓練校と協力関係を結んでおり、この学校の生徒の中から、授業態度や成績等を鑑みて支援するろう者を選定しています。支援するビジネスは、設備投資や運営資金があまりかからない個人経営が可能なビジネス。例えば、路上でのファーストフードの売店の経営もそうしたビジネスの一つです。ドミニカ共和国で有名なファーストフードと言えば揚げ物類。エンパナーダと呼ばれる半円型の生地でハムや鶏肉といった具材を挟んで揚げたものや、キペと呼ばれる麦の生地の真ん中にひき肉が入ったメンチカツのようなもの、チチャロンと呼ばれる豚のバラ肉を揚げたもの等が有名で、私も大好きです。こうしたファストフードの売店の立ち上げ等、ろう者が自立するための機会を創出するため、尽力していきたいです。

-なぜドミニカ共和国のろう者を支援することとなったのですか。

当団体は2015年に任意団体として立ち上げたばかりで、資金も少なく、規模も大きくありません。そこで、まずは一つの国でその国のろう者を支援することに注力し、将来的に世界中のろう者を支援できるまでに成長させようと考えました。当団体が支援する一つ目の国として、なぜドミニカ共和国を選んだのか。それは、私が青年海外協力隊の隊員として活動していた国であり、大好きな国だからです。青年海外協力隊とは、日本で行われている海外ボランティア派遣事業のこと。2013年1月から2年半、ラ・ロマーナ県のろう学校「Hogar del Niño(子供の家)」で教師として従事することが、私の隊員としての活動でした。この経験が、当団体設立のきっかけであり、支援対象国をドミニカ共和国に据えた理由です。

-ドミニカ共和国の素晴らしさを日本の方々に知ってもらうために、ウェブサイトを通して観光情報を紹介している我々としては、ドミニカ共和国が好きだという廣瀬さんとお会いできて嬉しい限りです!

-廣瀬さんから見たドミニカ共和国の魅力は何だと思いますか。

とにかく海!どこに行っても海が綺麗!!辛いことがあったりストレスが溜まると、きまって海へ行っていました。広くて、大きくて、綺麗な海。そんな海を見ていると「自分の悩みなんて小さいものだ」とスッキリしました。この国の海、本当に大好きです。おすすめは、東部にあるラ・アルタグラシア県のサオナ島(Isla Saona)、南西部にあるバラオナ県のビーチ、そして首都から東へ約30kmの所にあるラ・ペニータ(La Peñita)と呼ばれる飛び込みスポット。是非行ってみてほしいです。私自身これから行ってみたいなと思っているビーチは、南西部にある隣国ハイチとの国境沿いにあるペデルナーレス県のバイーア・デ・ラス・アギラス。行ったことがある友人からとても良かったと聞き、絶対行きたい場所です。

ドミニカ共和国には各種アクティビティもあります。おすすめは、北東部にあるサマナ県でクジラを見たり一緒に泳いだりできるホエールウォッチングのツアーや、バラオナ県でしか採れない宝石ラリマールを自分で採掘したり加工したりできるツアー。ここでしかできない体験ができるかと思います。

ドミニカ料理ももちろん好きです。特に、サンコーチョと呼ばれる鍋料理と、プラータノと呼ばれる調理用バナナは大好きですね。

そして何と言っても、この国の人達が魅力的!みんなフレンドリーで陽気なんです!!知り合いでなくても、同じ場所に居合わせただけでいろんな人が話しかけてきてくれたり、こちらからの問いかけにも親身になって対応してくれる。音楽が流れる場所では、この国で作られたビール、プレスィデンテを片手に初めて会った男女でもすぐペアになって踊る。そんな文化に慣れてしまったせいか、私の振る舞いもドミニカ人っぽくなってしまいました。日本に帰国して空港から自宅へバスで向かっていた時のこと。隣の席の方に話しかけてしまって、変な顔をされたのを覚えています。「あっ!?ここは日本だった!日本人らしくしなきゃ!」日本に慣れるまでが大変でした(笑)

-それはとても面白い体験をされましたね(笑)。ドミニカ共和国と日本、それぞれで生活されたことがある廣瀬さんだからこそ、そうした違いを体感することができたんでしょうね。

-ところで、青年海外協力隊の隊員としての活動先として、なぜドミニカ共和国を選ばれたんですか。

実は、初めからドミニカ共和国を選んでいたわけではありませんでした。当初は、ろう者支援の仕事をしていた日本人の友人が暮らすブラジルへの派遣を希望し、無事合格。日本での2ヶ月に及ぶ事前研修も受けてあとは渡航するだけという段階で、ビザが下りないということになりました。その時点で残された選択肢は2つ。初めから応募していなかったものとしてボランティアを諦めるか、それとも、ろう者のボランティアを求めていた他の国、ドミニカ共和国に国を変更して活動するか。仕事を辞めて参加した事前研修の日々を無駄にはしたくない。そして、学生時代からの夢である国際協力の道を諦めたくない。そう思い、ドミニカ共和国行きを決めました。

ただ、今考えれば、ブラジルで暮らす友人から言われたことも、ドミニカ共和国行きを決める動機となっていたかもしれません。「健常者である私がろう者を支援するという仕事は、なかなかうまくいっていない。ろう者の気持ちを本当の意味で理解できるのはろう者であり、今こそろう者間での支援が求められているのではないか。」ろう者である自分がろう者を支援することの意義を感じました。

ドミニカ共和国行きを決めたは良いものの、そのためには事前研修をもう一度受け直す必要がありました。事前研修では派遣国の言語を学ぶのですが、ブラジルはポルトガル語で、ドミニカ共和国はスペイン語。別の言語なんです。夢のために選んだ道とは言え、2回目の事前研修は辛く感じることもありましたが、2つの言語を学ぶ機会をもらえた、と今ではポジティブに考えられるようになり、感謝しています。そして、それまで知らなかったドミニカ共和国という国を好きになることができた。面白いですよね(笑)。

-ドミニカ共和国に行かれるまでにそんな大変なことがあったからこそ、ドミニカ共和国への思い入れがあるのかもしれませんね。

-話は変わりますが、ドミニカ共和国を含め、廣瀬さんはこれまでに40以上の国と地域を旅されたことがあるそうですね。海外に興味を持たれたきっかけは何ですか。

アルバイトをしていた学生時代、夏休みの3ヶ月間を利用して何かしたいと考えていたところ、友人から「海外にバックパッカーをしに行こう」と持ちかけられました。ただ、バックパッカーとは何か知らなかった私は、海外というよりもバックパッカー自体に興味を持ち、その友人について行くことに。この旅行以前は、高校生の時にアメリカへ留学する等、日本以外の国のことを知らない、ということはありませんでしたが、発展途上国へ行くのは初めて。そして、海外のろう者に出会ったのもこの旅行が初めてでした。

その国のろう者とコミュニケーションを取ろうと手話や筆談を試みたところ、理解してもらえない。それは国の言語が違うからではなく、その方が手話や読み書きができなかったから。同じろう者なのに、ろう者を取り巻く各国の事情は全く違うことにショックを受けたのを覚えています。この旅行を機に、各国のろう者の実態が知りたくなり、あれよあれよという間に40以上の国と地域を旅していました。

-廣瀬さんのお話を伺っていて感じたのは、廣瀬さんは様々なことに対して好奇心が旺盛で、思い立ったが吉日。臆することなく行動に移される方だということ。そして、それを可能にしているのは、廣瀬さんのコミュニケーション能力の高さなのではないかということ。音が聞こえなくても、手話や読み書きができなくても、どんな人とも意思疎通ができてしまう方なのではないか、と感じさせられました。

そうかもしれませんね。周りの人とコミュニケーションを取る際、いつも「通じないのが当たり前」という前提がろう者である私にはあります。だけど、コミュニケーションを取りたいし取らなければならない。そこで、コミュニケーションが取れるよう、知らず知らずの内にあの手この手を使う努力をしているのかもしれませんね。相手の表情、口の動き、動作、会話の中で使われている単語を拾って文脈を読む。こちらも、色んな動作や表情、音等、全身、そして想像力を使ってコミュニケーションを取っているんです。

私は手話の他、相手の口の動きから音声言語を読み取る「読話」、言葉を発音して相手に伝える「発話」もできますし、日本語の他、英語やポルトガル語、スペイン語等ができます。生まれた時から耳が聞こえなかったので、幼少期は読話と発話を教わっていました。他の友達がテレビを見たり遊んでいたりする時間に勉強をする。その当時はあまり好きではありませんでしたが、今思えば良い機会を与えてくれたと親に感謝しています。スペイン語も同様です。初めは意図して習得した言語ではなかったものの、現在の仕事につながっている。感謝です。

-そんな国際色豊かな廣瀬さん。これまでの人生で意識されてきたことはありますか。

人間は経験から成る生き物だと思っています。インターネットや本といったメディアからの情報だけではなく、自分の目で見て体験することで成長する。だからこそ、私は気になったことや興味のあることは実際に体験するようにしています。ましてや、私の場合は耳で音を聞くことはできませんからなおさら。

また、人とコミュニケーションを取る際は、第六感みたいな感覚も大切にしています。これは手話や読み書きのことではなく、想像力とでも言いましょうか。例えば、母国語が違うドミニカ人、しかも手話や読み書きができない方とは、一見意思疎通が図れないように感じます。ただ、私の場合、外国人だから言葉が通じないのではなく、耳が聞こえないからコミュニケーションが取れないのだ、と早い段階で相手方のドミニカ人が察知してくれ、そうした人と取る最善のコミュニケーションの方法は何かを想像し、表情や身振り手振りを駆使してコミュニケーションを取ろうとしてくれます。そんなドミニカ人とのコミュニケーションは比較的容易に取ることができます。もちろん、ドミニカ人は表情が豊かで身振り手振りも大きいから、というのもコミュニケーションが取りやすい一因ではあるかとは思いますが。

一方、同じ日本語を使う日本人とのコミュニケーションは取りづらい。言葉や声に頼るコミュニケーションしかしてこなかった日本人が多く、それが当たり前だと思っており、それ以外のコミュニケーションの方法を想像する力が乏しいからかもしれません。面白かったのは、日本の空港での出来事。マスクをしている税関職員が担当する窓口を選んでしまったがために、そこを通過するのにかなりの時間を要しました。その方は終始マスクを外さず、話しかけてきます。ですが私はろう者。声は聞こえません。残念ながら、それが日本の現状です。

違う言語を話す人やろう者等、自分と違う人と交流する機会は、日本人の間でもこれからどんどん増えてくるかと思います。自分自身の「当たり前」は通用しない、もしくは「当たり前」ということはないということを意識し、相手の立場に立って想像力を働かせる努力をすること。これこそが真のコミュニケーション能力につながるのかもしれません。40の国と地域を旅してきたこと、そしてドミニカ共和国で2年半に渡って体験してきたことを通して、このように感じました。明るくてフレンドリーな人々がいて、多くの綺麗なビーチを要するドミニカ共和国。読者の皆さんも、是非一度ドミニカ共和国へいらして下さい!

廣瀬さんが代表を務める国際協力団体「Yes, Deaf Can!」の詳細や活動の進捗状況は、同団体のホームページやFacebookページからご確認いただけます。各種プロジェクトにつきまして、皆様のご支援の程何卒宜しくお願い致します。

▼国際協力団体「Yes, Deaf Can!」

HPhttp://www.yesdeafcan.com/home.html     

Facebook:https://ja-jp.facebook.com/YesDeafCan/

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